特養職員紹介⑩ 強くなれる理由を知った編

お世話になっております。特養スタッフの後藤です。鬼滅の刃では煉獄さんが好きです。

「やってみたかったし、とりあえず2、3人やってみますね」と軽い気持ちで始めた職員紹介。予想だにしない高評価とリクエストを頂き、はや第10回を迎えることとなりました。

前回の予告通りではありますが、今回はわたくし後藤がインタビューされる側でお送りいたします。

後藤:それじゃあ、宜しくお願いします

水谷:お願いします。なんでインタビュアー僕なんですか?

後藤:話しやすい人じゃないとちょっと緊張するので

水谷:そうですか(笑)

後藤:早速聞いてもらっていいですか?

水谷:ええ…何聞けばいいんですか?ん~、じゃあ、学生時代~入職までの経緯を。

後藤:もともとずっと野球部で、大学卒業までずっと野球をしていました。就職や進路を考えるときになんとなく「困っている人たちのためになることを」と思っていて、当時は青年海外協力隊で発展途上国に行くつもりをしていました。今までやっていた野球の指導という内容での募集もあったし、これだ!と思っていたんですけど、試験受けたら不合格で。

水谷:青年海外協力隊ってボランティアですよね。不合格とかあるんですね。

後藤:あるんですよ(笑)実は自分は2回不合格になってて。その2回目が大学4年の12月とかだったんで、「やばい、就職決めないと」ってめっちゃ焦りました。

水谷:そこで介護に至ったのは何でですか?

後藤:もともと「困っている人のためになりたい」という思いで進路を選ぼうとしていたところと介護が結びついた感じです。ちょっと大げさに聞こえるかもしれませんが、「感謝の気持ちを持ち続けながら、長く仕事が出来るのは、福祉、介護かもしれない」と思いました。いろんな人に相談して、「ごっちゃんは野球部やけど穏やかで優しいから、介護合ってるかもしれんね」と言われたのも、やってみようと決めたきっかけの一つです。

水谷:なるほど。

後藤:決意のきっかけとなった出来事がもう一つあって、東日本震災があったのが僕が大学3年生の時で、当時は野球部で部活していたこともあり、状況をTVで観るばっかりだったのですが、大学4年生の時にやっと、南三陸へボランティアに行く機会を作ることが出来ました。夜行バスと高速バスを乗り継いで現地に降り立った時、「なんもないやん…」と一緒に行った友達と声が被る程、町並みが一変してて。僕と友達は、土砂で埋まってしまった排水溝の泥掻きや、津波によって道路に流れてきた大きな石や岩をどかす作業をやらせてもらってたのですが、作業前にボランティアリーダー?みたいな人が「今日は来てくれて本当にありがとう。見ての通り、ここも地震と津波でなんも無くなってしまったけど、自分は出来ることをして、必ず町並みを元に戻します。自分一人で出来ることなんかたかがしれてるけど、こうして協力してくれる人がいるうちは諦めない。みんなそれぞれの町に帰っても、今日の事は忘れないでほしい」って、泣きながら話してくれて…。名前も知らない人ですけど、この日がこの話するの初めてじゃないと思うんですよ、この人。めっちゃボランティア来てるって言ってたし。でも、誰か来るたびにこうやって自分の思いを話して、熱量が変わらずに取り組めている事ってすごいなと思って。「誰かのために」とか「町のために」ってこういう姿勢を続けることを言うんだと思って、この出来事は福祉を職にするにあたって、一番気合いが入った出来事でした。

水谷:それじゃあ以降の就活は介護一本で?

後藤:介護一本に絞って就職活動をしました。最後に慶生会に拾ってもらえたのはとてもありがたかったです。

水谷:ああ、何社か受けてたんですね

後藤:実を言うと介護に絞ってからは数社受かってたんですが、当時面接してくださった方と勝手ながらにご縁を感じたのと、当時の慶生会の人事担当の方に「まだ決めてないの?じゃあもう、うちってことで。ユニフォーム採寸するからこっち来て。書類と今後の予定表も渡しておきますわ」と、今の時代では考えられない強引さを妙に気に入ってしまって(笑)

水谷:その強引さで後藤さんが採れたんなら、良かったんでしょうね(笑)

後藤:ターニングポイントでした。

水谷:入職してからはどうでしたか?

後藤:最初は生野区の瑞光苑で介護職としてのキャリアをスタートして、「こんな親切に教えてくれるんや」と指導体制の充実に驚きました。なんか、おばちゃんとかにもっと罵倒されながら耐えていかないといけないと思っていたから、ギャップがすごくて…当時のお師匠さんは優しくてカッコよくてだったんで、憧れのまなざしで「その内こうならなあかんねんな~、なれるかなあ」と思っていたのを覚えています。

※若かりし新人時代 後藤・井尻(サラージュ南吹田)・田村(サラージュ豊中GH)

水谷:介護自体は大丈夫だったんですか?

後藤:身体介護含めて抵抗は無かったので、介護をする。という事に対しては全然大丈夫でした。お師匠たちが丁寧に教えてくれたこともあって、自分たちは同期含めて、皆それなりにいけてたかなぁって思うんですけど、今思うと、それもやっぱり環境が良かったから。あの時の同じフロアのメンバーが今、慶生会のどこかの施設で役職者として頑張られているって人が多いし、すごいチームだったなあと思います。

水谷:それでその後、称揚苑でしたっけ?

後藤:2年目の2月~は8ヵ月程、大東市の和光苑で介護職をさせて頂いて、その後3年目の時の2月に称揚苑がオープンしたんで、いわゆるオープニングスタッフとして働かせて頂きました。ショートステイの担当で。

水谷:ショートステイ担当…、いわゆる相談員ですよね。僕あんまり相談員の仕事って何か分からないんですけど、当時は大変でした?

後藤:相談員は施設利用の窓口として、入居・利用にあたっての説明や契約、日程の調整をする人の事ですね。自分も「相談員って何?」の状態だったんで、最初とても苦労しました。言い方悪いですが、周りの人たちに好き勝手にあれやこれや言われていたのを、全部真に受けてしまって、「ほなどないしたらええねん!」と、毎日穏やかではなかったです(笑)

水谷:よく、「相談員は間に立たされる」って言いますもんね。どうやって乗り越えたんですか?

後藤:乗り越えたのかどうか分からないのと、周りから見て相談員業務をきちんと出来ていたのか分からなかったので、なんとも言い難いですが、やる・やらない、聞く・聞かないを「もうええ、自分で決める!」と決意してからは、少し気持ちが軽くなりました。

水谷:後藤さんも大変だったんですねえ(笑)

後藤:そんなことないと思います。周りの人に恵まれました。瑞光苑の時同様、あの時のチーム良かったって思います。送別会してくれた時の写真は、今も大事にデスクにありますよ。

水谷:それでその後サラージュに。

後藤:称揚苑で約3年相談員をさせて頂き、サラージュ豊中が慶生会のグループになって3ヵ月後くらいに、金内部長に続いての第2便で異動となりました。

水谷:その時、お気持ちどうでした?

後藤:サラージュが慶生会グループになるなんて予想もしてなかったですし、いわば僕が豊中に来る可能性なんて、それまで0%だったわけですからね…。グループ化してからも、なんか他人事というか、「そうなんやぁ」くらいにしか思っていなかったので、サラージュ豊中に異動と聞いたときは、二つ返事したものの驚きました。

水谷:来たばかりのころはどうでした?

後藤:施設がどうこうというより、自分自身が職員の管理をしたことがなかったので、そっちが不安でした。一応サブチーフという役職で豊中に来させていただいたんですが、シフト表を見たときに「ああ、実質リーダーさんが不在なんやなぁ」とはすぐ分かったので、唯一のリーダーとして自分が色々決め事や調整をしていかなければならないというのは若干プレッシャーでした。なんか、グループ化した後に、本丸(慶生会)から若造が来るって、ストーリー的になんとなく黒船乗ってきた感あるし。

水谷:確かに(笑)その辺は大丈夫だったんですか?

後藤:実際のところどう思われてたかは分かりませんが、思いのほか僕にでも色々お話してくれたり、課題提起や提案をしてくれる方が多かったので、助かりました。「ええんちゃう」「とりあえずそれでいこう」はよく聞いたし、自分もよく言ってた気がします。

水谷:施設が良くなってきてるって実感はありますか?

後藤:来てからの初年度では感じたことのない感覚やチームワークが垣間見られるのと、ショートステイとして準備しているお部屋が、地域のたくさんの方でいっぱいになっている事を思うと、良くなってきてはいるなと思います。

水谷:逆に課題というと、後藤さん的にはどういったことが挙げられると思いますか?

後藤:個人的には、まだまだサラージュ豊中のサービスを地域に知ってもらう必要性があると同時に、そのサービスの品質を高めていかなければならないと思っています。

水谷:と、いうと?

後藤:このご時世、施設は選択肢の一つに過ぎない時代に入っていると思うので、ご利用者やご家族が「どっちの施設にしようかな」となったときに、サラージュが選ばれないと、自分としてはやっている意味が無い。地域の連携ありきなので、他を蹴落とすとかそういう事ではないけど、我々がやっているサービス自体を向上させるのと、同時にそれを発信してアピールする、利用していただくためにアクションを起こすことは、自分の役割だと思っています。

水谷:なるほど。

後藤:そのなかで、ご入居者に安心安全かつ、楽しみのある生活を送っていただけることが、課題でもあり目標でもあるのかなあと。

水谷:全部が繋がると、「良い施設」になりそうですね。

後藤:施設の窓口でもある相談員の役割もあるので、まずは利用していただいて、評価を頂く。ということを繰り返して、その「良い施設」に向かっていきたいと思っています。あとは職員の皆さんが元気に前向きに働ける職場づくり。

水谷:職員のところ、今はどう感じられているんですか?

後藤:水谷さんはじめ皆様のおかげで、総じて良い感じとは思っていますが、今後絶対に「変化」があるじゃないですか。新しい施設(2022年 豊中市豊南町にOPEN)のこともあるし、時代もコロナや高齢化やなんやらで、環境としては間違いなく変わっていく。その変化があったときにどうかなあ、その時も前向きにいけてるかなあというのは少し不安があります。「良いチーム」時代が終わっても個々が揺らがないように。っていうところまでいち職員と信頼関係を築けていたり、指導育成が出来ているかと言われると、まだまだ自分の中で課題だなと思っています。

水谷:最近は新人さんも増えてきて嬉しい限りですが、今後長く活躍して頂くとなったら、先輩職員としての責任を僕も少なからず感じています。

後藤:そう思えるの、すごいと思いますよ。水谷さん、2年目でしょ?

水谷:まあ一応。

後藤:介護職を志してくださる方を大切にしていく風潮が出来てきたらいいですね。そういやこないだ、施設職員として就職説明会に、企業側として参加させていただいたんですが、やはり他の業界に比べるとまだまだ…

水谷:何かあったんですか?

後藤:大きな会場に各企業ブースを構えて、希望する企業に学生が足を運ぶスタイルの説明会だったんですけど、「来てくれた!」と思って学生さん一名にマンツーマンで色々説明してたら、両隣の某有名企業ブースに20人くらいパンパンに入ってて…、目の前の有名企業さんのブースも、立ち見で30名近くの学生が説明聞くくらい。それが終わったらまた2,30人がその有名企業ブースに入る。その間うちは来てくれた2,3人につきっきりで説明するっていう…。

水谷:あぁ~、そんな少ないんですね…「介護」ってだけで敬遠する人も多いですもんね。

後藤:前述のとおり、人ひとりに出来ることは限られているんだろうけど、なんか業界として広義の課題みたいなものはその時感じました。悔しかったですね。

水谷:イメージの払しょく、魅力を感じてもらうって、難しいですよね。

後藤:またその有名企業の呼び込みが「一回話だけでも聞いていってよ!うちで働きたくなるよ!」って自信を持って言ってるんですよ。それで5人、10人と、どんどん学生がそのブースに入っていく。僕は「介護興味ありますかぁ?」って腰の引けた弱い言葉(笑)最初から負けてるっていう…

水谷:後藤さんでそうなるんだったら、本当にキツイ現場だったんでしょうね。

後藤:正直、ブースに来てくれた人に対しては仕事の説明や、現場のリアルな声や感想も話すことが出来る自信があるんですけど、「それだけじゃあダメだよ」って両隣と前のブースから言われてる気がして…悔しかったなぁ。

水谷:珍しい。本当に悔しかったんですね(笑)

後藤:まあそれでもコロナ禍を機に医療、介護、福祉に目を向けてくださる方が増えたり、こんなご時世でも仕事が無くならないっていうのは福祉職の強みだと思います。様々な経緯で介護職への門を叩いてくださる方がおられますが、近日サラージュでは定着してくださる方が多いので嬉しく思っています。

水谷:教えるという事が、とても大切になってきますね。

後藤:おそらく、「続けてもらうために」「定着するために」の動きや風土はかなり長けてきている部分があると思います。サラージュ職員のお人柄と配慮で、働くことへの不安が徐々に無くなってくる感じ。近日の新職さんを見てそう思います。ただある程度来ると、次は仕事としての機能化・戦力化が求められる時期が来ると思うので、そのステップの指導育成が、今のチームの課題かなとも思います。

水谷:確かに僕も振り返ると、その時期が一番大変だった気がします。「ちゃんとできてるかな?」「力になれているかな」と…

後藤:多少なり自身でも、自己肯定感と言いますか、「チームの力になれている感じ」がないと不安だと思うので、その時期はより一層の配慮が求められますね。

水谷:なんか、悩みは尽きない感じはしますけど、僕もその部分には関わっていきたいなあと思えてきました。

後藤:あっという間に先輩になって、どんどん後輩が増えていきますもんね。

水谷:最後に、今後の目標はありますか?

後藤:個人としては公的な役割として「施設長」になること。チームとしてはご利用者に「選ばれる施設」であり続けると同時に、新人職員が辞めずに定着~機能化までしっかり育成が出来る体制、仕組みを構築する事。

水谷:ふむふむ

後藤:あとは、「一回話だけでも聞いていってよ!うちで働きたくなるよ!」って自信を持って言う事(笑)

水谷:めっちゃ根に持ってるじゃないですか(笑)ところで…

後藤:はい。

水谷:施設長になりたい。っていうのは、金内施設長を見て、そう思うんですか?

後藤:そうですね、少なからずそれはあります。金内部長のようなリーダーになりたい。ということと、誰かが施設長のポジションに、だったら自分が。の2つが大きいです。

水谷:働き方改革真っ盛りなこのご時世、キャリア志向って珍しいと思います。

後藤:ん~、高校大学と野球部ではありましたが、レギュラーではなかったので。どうやったら自分の役割が見つかって、チームに貢献出来るかなと考える日々を過ごしていたので、「この枠誰も狙ってないよ。お前活躍のチャンスあるよ」となると狙いに行ってしまう…のかなぁ(笑) 思い違いをしていたとしたら、そこは自分の勘違いという事で許してほしいんですが…

水谷:なるほど、体育会系的な考えなんですかね。

後藤:いやまぁ、自分も家族があるし、色々とこのままではいけないのと。いわゆる管理者、施設長になってみないと分からないことってたくさんあるでしょうから、それはその役割になって、身をもって学びたいと思っているところがあります。

水谷:金内施設長は、自分からすると(役職的に)遠い存在なので、具体的に何をしていて、何が凄いかっていうのが、分かりかねるところがあるんですが、後藤さんから見ると、やっぱり凄いんですか?

後藤:ああなれたら上手くいくんだろうけど、自分にはなれないだろうなぁって感じることが多いです。

水谷:具体的にいうと?

後藤:ストーリー的に話すとキリが無いのですが、そもそも対人のやり取りがすごく上手なのと、そこまでの準備や説明・話の根拠作りが緻密。話を受け止めきる器の大きさは「聞き上手」の最たる程だと思うし、そもそも色んなところに気が回る。判断と決断のすべてに納得性があって、正直、上司像の理想形だと思っています。

水谷:おお~、最強じゃないですか。

後藤:だから自分今、すごく幸せな環境だと思うんですよ。そんな人の近くで、ずっと仕事見てくれてて。

水谷:ああなりたいですか?

後藤:なりたいですけど、無理そうなので、盗めそうなところは盗んで、別路線で行こうかと思っています。

水谷:楽しみです(笑)ところでめっちゃ長くないですか、今回のインタビュー。

後藤:めっちゃ長くなったと思います。我ながら、最長記録ですね。

水谷:今後も職員紹介続けるんですか?

後藤:出来る限りは続け…ます(笑)「こんな人が働いています」は入居者、ご家族向けに。「こうなんです。こう思ってたんです」は内部職員向けに。「こんな人が居ても、こんな風に思っていてもいいでしょ」は介護職を志す、または興味を持っている将来のチームメイト向けに。ちょっと大げさですけど、裏テーマです。

水谷:そうなんですね(笑)引き続きお願いします。…そろそろ終わりでいいですか?(時計見る)

後藤:はい!ごめんなさい!長くなって…、今後ともよろしくお願いします!

今回は職員紹介スピンオフをお送りいたしました。次回より本路線に戻し、しっかりやっていきますので、何卒よろしくお願い致します。

以上、特養スタッフ 後藤でした。

 

前の記事

焼き肉パーティー

次の記事

日常のご様子